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コグレブログ

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「細川ガラシャ夫人」三浦綾子著
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    「細川ガラシャ夫人」三浦綾子著、新潮文庫、1986年発行
    三浦綾子(1922〜1999)北海道旭川生れ
    朝日新聞社の懸賞小説に「氷点」が入選して大ベストセラーとなる
    17歳で小学校教員、敗戦後に退職、肺結核、脊椎カリエスで13年間病む、1952年キリスト教洗礼

    明智光秀の娘、
    玉子16歳で織田信長の命令で細川忠興に嫁ぐ
    1600年、慶長5年7月17日夜、
    関が原合戦前夜、大阪細川邸と共に細川ガラシャ没(38)
    1648年、細川忠興没(83)

    信長の妹の、お市の夫の浅井長政は、信長によって亡ぼされ自害して果てる時に
    「強い者は攻め亡ぼされることもあるであろう。
    しかし、美しい者は、敵も見方も亡ぼすことはできぬ」
    信長の城に帰ったお市、信長もまた
    「美しいものは、自分で自分を亡ぼすことも許されぬ」
    お市の方が、光秀にただ一言いった
    「明智殿。生きるとは、死ぬよりむずかしゅうござります」
    玉子はお市にも劣らぬ美女に育つであろう。
    美しさのみを最上とする人間になっては、かえって不幸を招く。

    「初之助。人間の命と、鯉の命と、どちらが貴いといと思いますか」
    「無論、人間の命だと思います」
    「それは、人間がいうことでしょう。
    鯉に尋ねたら、鯉の命が貴いといっていましたよ。初之助」

    「人間、誰しも自分の生きのびるる道を考える者でござります。
    勝目のない戦とわかれば、
    主君を捨てて、織田方に寝返る者が多うござりましょう」
    苦難が苦難である人には、いつまで経っても、苦難の解決はない。
    苦難がご恩寵と喜べる人には、もういかなる苦難も、苦難ではないと

    「散りぬるべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
    「遭ふと見てかさぬる袖の移り香の のこらぬにこそ夢と知りぬる」
    男
    | 三浦綾子 | 15:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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